「アートオリンピア2026」に2作品が入選しました
このたび、国際公募展「アートオリンピア2026」に2作品を応募し、2作品とも入選いたしました。
今回応募したのは、鉛筆による作品と油彩による作品です。技法も作品のテーマも大きく異なる2作品ですが、どちらも、私自身がこれまで考えてきた「見ること」「境界」「個と全体」といったテーマにつながっています。
一方は、幼い頃の身体感覚から生まれた作品。
もう一方は、物質の境界から人と人との関係までを考えた作品です。
ここでは、今回入選した2作品について、それぞれの制作に込めた考えをご紹介します。
「100cmの視界」
B1(728mm × 1030mm)/鉛筆
「100cmの視界」は、私自身が身長100cmに満たなかった頃に見ていた、菓子売り場の記憶をもとに制作した作品です。
子どもの頃、菓子売り場に並ぶ商品を見上げると、そこにあるのは大人の目の高さを基準に並べられた商品ばかりでした。子どもの視線から見えるのは、商品のパッケージそのものではなく、その底や棚板の裏側。大人にとっては何気なく見渡せる場所が、子どもにとってはまったく違った世界として立ち現れていました。
そこには、商品を目の前にした高揚感と同時に、「見たいのに見えない」というもどかしさがありました。
本作では、その記憶を極端な仰視の構図として画面に定着させています。
あえて鉛筆だけを用いたのは、色彩によって人を惹きつける商品の「色」を取り除き、そこに存在する「高さ」という見えない境界を浮かび上がらせるためです。
制作を進める中で、私はあることにも気づきました。
それは、美術館という場所もまた、基本的には大人の身体の高さを基準として設計されているということです。
子どもは作品の正面に立つことができず、時には斜め下から作品を見上げることになります。
「100cmの視界」は、単なる幼少期の記憶を描いた作品ではありません。
人間の身体の大きさによって変わる「見る」という行為そのものについて考えた作品です。
「あわい」
S50(1167mm × 1167mm)/油彩
もう一つの入選作品が、油彩による「あわい」です。
物と物が触れ合うとき、その境界はいったいどこにあるのでしょうか。
私たちは普段、物と物、人と人をそれぞれ別々の存在として認識しています。しかし、分子、原子、さらに素粒子という次元まで視点を移していくと、「ここまでが私で、ここからが他者」という境界は、次第に曖昧なものになっていきます。
「あわい」は、その曖昧な境界を、透明な球体がひしめき合う光景として油彩で描いた作品です。
画面の中で球体同士は互いに押し合いながら接し、その接点では境界が溶け合うように見えます。光を通し、互いを映し込み、響き合うことで、一つひとつの球体が単独で存在するだけでは生まれない、一つの大きな空間を形成しています。
支持体に正方形を選んだのも、この作品の考えと関係しています。
正方形には、縦と横のどちらかを優先する方向性がありません。上下左右という序列を持たず、中心や特定の方向を定めないまま、画面の外へと空間が広がっていくような構造をつくることができます。
そこでは、一つひとつの球体がそれぞれ固有の輝きを保ちながら、同時に全体を構成する一部にもなっています。
個と全体は、必ずしも対立するものではありません。
一つひとつの存在が固有性を持つからこそ全体が成立し、また全体が存在するからこそ、一つひとつの存在もまた意味を持つ。
私はこの関係を、人と人、人と物との関係にも重ねています。
境界を鋭く切り分けてしまうのではなく、互いの間にある曖昧な「あわい」を受け入れること。その「あわい」の中で関係をつくり、調和を生み出していくこと。
日本で育った私自身の中にある、そうした感覚を「透明」という状態に託して表現しました。
分断や線引きが繰り返される現代において、境界が曖昧であることは、必ずしも不安定なことではありません。
むしろ、その曖昧さを受け入れることが、異なるもの同士が共存するための出発点になるのではないか。
「あわい」には、そんな問いを静かに提示しています。
異なる2作品から、これからの制作へ
今回入選した「100cmの視界」と「あわい」は、表現方法も、画面から受ける印象も大きく異なります。
「100cmの視界」では、幼い頃の身体感覚を起点として、「見る」という行為と、人間の身体によって生まれる視界の違いを考えました。
一方の「あわい」では、物質の境界から出発し、個と全体、そして人と人との関係へと考えを広げています。
しかし、その根底には、私たちが普段何気なく見ている世界を、別の視点から捉え直したいという共通した思いがあります。
今回、2作品とも入選という結果をいただけたことを一つの節目として、これからも既存の見方にとらわれることなく、絵画によって「見ること」そのものを問い直す制作を続けていきたいと思います。
作品をご覧いただく際には、描かれているものだけではなく、「なぜこのような見え方になっているのか」「この作品は何を見せようとしているのか」というところにも目を向けていただければ幸いです。

